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ポーランドからドイツに入る国境にて。
ほどよく埋まった食堂車に、ポーランドの国境警備隊2名とドイツの国境警備隊1名の3人グループが乗ってきた。 角に座っていた黒人のお客に「パスポートにビザがあるか見せてください」と言う。 「ここにこんなに人がいる中でなぜ私だけパスポートをチェックされるのか?黒人だからか?人種差別をするつもりか?」と抗議する彼。 「パスポート、プリーズ」を繰り返すポーランドの国境警備隊。 「ビザは持っているがパスポートは座席に置いてきた。取ってこないといけない。 でもなんで私だけなんだ。抗議する。」 周囲のドイツ人は、すぐドイツ語で警備隊に文句を言い始めた。 「その人の言う通りだ。なぜ彼だけパスポートの開示を求められるんだ。 あなたたちはレイシスト(人種差別主義者)じゃないか」 「私はユダヤ人よ。ドイツの中では少数派だわ。私にもパスポートのチェックをもとめなさいよ」 ドイツ語なのでポーランドの国境警備隊はわからない。 ドイツの国境警備隊が言い訳を始めた。 「あなたたちは私たちをファシストと言うが、これは国境を守るための仕事の一環で、 でもドイツ側はオブザーバー的立場で側にいるだけです。 ポーランドの同僚が、一車両につき適当に1人を選び出してパスポート開示を求めているわけで、ここでは彼を選びましたが、後部車両でも同じことをやってきたんです」 なんとも歯切れの悪い言い訳だ。 そもそも問題としているテーマもすり替え、「レイシスト」と「ファシスト」も言い換えている。 同僚にパスポートを持ってきてもらった彼は、 「私はエイズ撲滅活動を行っている団体の親善大使だ。 ビザを見ただろう。あなたの名前と番号を控えさせてもらう。今回のことについては苦情状を出すつもりだ」。 反省の色もなく、ドスドスと足音を立てながら次の車両に進んでいくポーランドの国境警備隊。 ドイツの国境警備隊は、いちおう最後までぼそぼそと言い訳しながらついていく。 こういう時、ドイツの人はけっこうな確率で議論に入ってくる。おせっかいとは違う。 "Deutsche Diskussionskultur" ドイツの討論文化、なのだろうか。 車の接触事故があった時とか、道路の反対側にいる人まで信号を渡ってやってきたり意見を言いだす。ドイツの人は口々に自分の意見を言って、正当性を主張する。 私も、何度かそういう場面に遭遇した。 デパートの順番待ちでなぜか私だけ無視された時とか、 タクシーの運転手に言いがかりをつけられた時、その時道にいた人たちがどんどん集まってきてくれたのでびっくりした。 たいてい私以上に怒ってくれるのだが、時々は全然状況がわかってなくて的外れの抗議だったりもする。いつのまにやら問題の私はまったく蚊帳の外になってるのにまだ言い争いを続けていて、「えー、私はそろそろ帰っていいでしょうか……」という状況になってたりもする。 それでも、言わずには気持ちがすまないのだろう。 彼が言っていることは正しい、、、この中で私だけがパスポートをチェックされたら なんで?って私も言いたくなるだろうと強く思いつつも 声をあげない私とは大違いだ。 食堂車全体に、「平等にみんなのパスポートをチェックしろ」という声があがっていくのにを横目に、冷や汗をかきながら下を向いていた。 実はちょうど新しいパスポートに書き換えたばかりで、パスにビザが貼られていなかったのだ。うっかり古いものを持っていくのも忘れていた。 もちろん、連邦警察に問い合わせて貰えば私の身元やビザがあることは確認してもらえる。 でもその前に、面倒に巻き込まれるのが嫌だ。。。 ドイツ語ができるようになっても、ドイツに何年暮らそうとも この点だけは、ドイツ的、ドイツ人のようにはなりそうにない。 #
by berlinbaubau
| 2016-09-14 16:41
| ドイツのこと
右傾化が進んでいるといわれるドイツ。
本当のところはどうなんでしょう? そして右傾化に地域差はあるのか?旧東ドイツ地区、特にザクセンに集中しているのはなぜなんだろう? ドレスデン出張中、ばったりペギーダのデモに紛れ込んでしまって以来、東ドイツ好きとしては、その疑問が頭を離れません。 ペギーダってそもそもどういう風に結成され、広がって来たんでしょうか。 まず、 PEGIDA ペギーダとは Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlande 「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」の略語。 日本語で「欧州」と訳されているAbendlandアーベントラント とは、Morgenlandモルゲンラント(Orient〜中近東)に対しての「西欧」であり、この言葉を使うことで、対する「モルゲンラント」をより意識させます。 ![]() 写真はベルリンのペギーダ(ベルギーダBärgida)です。ありがたいことに100人も集まってません。 結成は2014年10月。その経緯を追ってみます。(出典:sächsische Zeitungほか) きっかけとなったのは 10月10日、ドレスデン中心部で起こった約200名のクルド人と極左のデモだったそうです。 彼らの主張はISISに対しての戦いのため、クルディスタン労働党に武器を!というもの。 ペギーダのトップ、☆ルッツ・バッハマンはこのデモについて「法に反するテロリストたちに武器を運べと言ってたんだ。2000人は居たと思う」と後に語っており、このデモをビデオに収めています。 10月11〜12日 後のペギーダ創立メンバーとなるルッツ&ヴィッキー・バッハマンと、レネ・ヤーン(脱退)ほか4名が初めて集まり、トルコ人とクルド人の戦いがドイツの地で行われることに反対しよう、などと話し合ったよう。 Facebook立ち上げの際に書かれた、グループの説明は「西洋のイスラム化に反対する平和的なヨーロッパ人」。 14日、 ここで前マイセン市のFDP党員で、市議であった☆ジーグフリード・デブリッツが加わります。 デブリッツはフーリガンなどの極右グループとのつながりもあり、ここでグループ名も「平和的」→「愛国者」へと変化します。ドレスデンにて、ペギーダ結成。Facebookで、初の☆「月曜デモ」の呼びかけ。 20日 聖母教会の前で行われた、初のペギーダデモには約350人が集まりました。 サッカーチーム「ディナモ・ドレスデン」のフーリガンや極右のメンバー(例えば、2月13日のドレスデン大空襲時に行われるネオナチデモのオーガナイザーや、エルツ地方でのNPD(極右政党ドイツ国家民主党)のデモの中心人物や地元の前NPD州議会議員、そして、右派政党AfDの党員もいたそうです。 デモの参加者の半数がFacebookの「友だち」となりました。 11月3日 1000人ほどが集まるようになった月曜デモ。 バッハマンは演説のなかで☆「Wir sind das Volk(我々こそが人民だ)!」と繰り返し強調し 「犯罪を犯す外国人たち」について語ったほか、マスコミとは関わりを持たないように勧めました。 この際のスローガンは「君たちのために、君たちの家族のために、そして祖国のために」。 Facebookの友だちは3300人以上、ぐっと知名度を増します。 「月曜デモ」が回を重ねるにつれ、参加者も増えていきます。 各地で、ベルギーダ(ベルリン)レギーダ(ライプツィヒ)ポギーダ(ポツダム)などなど分派も発生。 2015年1月21日 バッハマンが、Facebookなどで難民を「害虫」「Dreckspack(汚いやつら)」などと言っていたことや のヒットラーの格好で撮った自撮り写真などが公表されたことから、代表を辞任。 1月25日 オランダ人エドヴィン・ヴァーゲンスフェルトが右翼/反イスラム政治家ヘルト・ウィルダースの挨拶を読み上げ物議をかもします。(彼自身は南ドイツ在住で11月からペギーダのデモに参加、12月には演説もしていたとか) → ヘルト・ウィルダースは4月に自らペギーダデモに登場。 「テロリストの大半がイスラム教徒」と主張し「イスラムはドイツに属している」とメルケル批判を浴びせます。 27日 創立メンバーだったレネ・ヤーン、カトリン・エーテルら5人が脱退。ルッツ・バッハマンは再びトップへ返り咲きます。 しかし、その後2万人近くにふくれあがっていた参加者は10分の1ほどに激減。 5月にはデブリッツと極右政党NPDの党首フランク・フランツが一緒に写った写真が公表されます。 6月、ドレスデン市長選でペギーダからの立候補者に10%の票が集まりますが、デモの参加者は2000人〜ほどにとどまります。 しかし、難民受け入れが高まってきた夏〜秋にかけて再び参加者が増え 結成1周年のデモには1万人以上が、エルベ川沿いの旧市街を埋め尽くしました。 ペギーダは1年の間に、かなり過激化していったと言えるでしょう。 私がたまたま見かけた結成一周年のデモでは、ハーケンクロイツはさすがに見かけなかったものの☆Wirmer-Flagge(ヴィルマー旗)と呼ばれる、赤字に黄色と黒の十字が交差する旗や第三帝国の旗も。 「メルケルは去れ!」という言葉はいまや普通で、絞首台を手にした参加者も多かったですし、もう演説でも「難民Flüchtlingen」とは表現せず、「亡命寄生虫Asylschmarotzern」「侵略者Invasor」、、、Facebookのコメントには「害虫」「Dreckspack(汚いやつら)」「人間のくず」などという罵倒が並んでいます。 また11月パリのテロの後には、(ペギーダによれば)4万人が参加。現在ペギーダのFacebook、いいね!の数は20万を越えています。 中心メンバーは、もともと極右的な考え方を持っている人たちだったのが、支援を受けて以前よりもおおっぴらに差別主義的な発言をしているのだと思います。 とはいえ、月曜デモに参加している人たちの理由は様々で、「反イスラム」「反難民」が主流ではあるものの、全然それとは関係なくデモに出てる人もいるようです。テレビのインタビューでは「孫や子どものことを考えたら、ドレスデンがベルリンのクロイツベルクみたいになるのは反対」と参加理由を説明している人もいました。「反マルチカルチャー」?具体的に説明できない、不安をかかえている、というだけの人もいるでしょう。 とはいえ私は難民には見えないと思うんですが、外国人というだけで、カメラを向けたというだけで暴言や唾を吐かれることもあり……なにはなくとも(?)現状に不満を抱えている人たちのるつぼになっているような気がします。 先日の州議会選挙で大躍進をとげた新右派政党AfD(ドイツのためのもうひとつの選択)との関わりについては、また改めて追っていきたいと思いますが、2013年に結成されたAfDの中でも様々な動きや変遷があり、一時期はAfD=ペギーダ政党とも言われていましたが、そこにも色々な意見があります。ペギーダところか極右政党のNPDに近い人もいますが……まあそれはまたあらためて。 ☆ルッツ・バッハマン 1973年、ドレスデン生まれ。肉屋の一家に生まれ、東西ドイツ統一後は現在の妻ヴィッキーと広告業などを営む。ドラッグ販売や空き巣、暴力事件などで逮捕歴多数、一時期は南アフリカに逃げ、2年間偽名で暮らしていた。ドイツに戻り、ドレスデンで服役し、保護観察付きで釈放されたが、再びコカインが見つかるなどしている。本人は自身を人種差別主義者ではないと主張し「結婚式のつきそいはトルコ人だったし、ムスリムの友人も沢山いる」との発言も。 ☆ジークフリード・デブリッツ マイセン生まれ。 マイセンで両親とともにペンションを経営。元FDP党員。父もFDPの党員だった。 バッハマンの友人であり、過去に逮捕歴がある。昨年AfD党員登録を出すが断られている。 ☆月曜デモ もともとは、旧東ドイツ時代、1982年からライプツィヒのニコライ教会で毎週月曜日に行われていた「平和の祈り」に端を発し、1989年9月からは群衆が集まり、言論や旅行の自由と平和を求め、独裁体制に反対する非暴力デモとなった。10月9日のデモは、指揮者クルト・マズーアらを中心に7万人を集め、ここからベルリンの壁崩壊につながった平和革命とされる。「Wir sind das Volk(我々こそが人民だ)!」という言葉がスローガンとなる。 ☆「Wir sind das Volk(我々こそが人民だ)!」 月曜デモにおいて、Wir sind EIN Volkー東西統一を求め、「1つの国民である」というスローガンだったのが、1989年秋、ライプチヒで行われた平和革命で、ニコライ教会を中心に集まった群衆に銃を向けたVolkspolizei(東ドイツ人民警察)に対し、誰のための警察なんだ? 私たちこそが(守るべき)人民だという意味を込め、「Wir sind DAS Volk(我々こそが人民だ)!」と繰り返し叫ばれたのがきっかけだったらしい。 ペギーダにおいては、(なんで外国人を助けなければいけないんだ)という意味を多分に含み、俺たちこそが国民だろ、的な意味で使われていると私は理解しています。 ☆ヴィルマー旗 ナチス対抗グループのためにヨーゼフ・ヴィルマーが考えた新たなドイツの旗。 2010年代からなぜか極右シーンでよく使われる旗となっている。(ヒトラー暗殺未遂事件後、1944年に処刑されてしまったヴィルマーさんもこれでは浮かばれない……) #
by berlinbaubau
| 2016-03-21 09:20
| ドイツのこと
「24 Wochen(24週間 決断の時)」
今年のベルリン映画祭、コンペ部門唯一のドイツ映画!と話題になっていた本作。 ![]() © Friede Clausz Berrached監督の長編2作品めとなる本作は、24週目、つまり妊娠6か月以降、子どもを中絶するにいたった女性の話です。 ユリア・イェンチ演じるコメディアン、アストリッドは妊娠5か月。 出生前診断で子どもがダウン症陽性と判断されます。 パートナーと話し合い、出産しようと決断した2人でしたが さらに超音波診断によって、先天性の重い心臓病を患っていることがわかり…… 映画のなかで、セレブでもあるアストリッドはパートナーはもちろん、友人や家族だけでなく、知らない人からも声をかけられ、悩みます。 「ダウン症の子どもをうむなんて、本当に勇気がある、素晴らしい決断ですね!」とプールのシャワールームで突然ファンに話しかけられ、「大変だよ」と知り合いには医者の名刺を渡され、ベビーシッターにはそっぽを向かれ、娘には「(ダウン症の人が)気持ち悪い」と拒否されて。 中絶しようかと迷えば、パートナーには「これから一生、うしろめたく感じ続けたくないんだ」と言われ、医者と会い、病院を訪ね、ダウン症の子どもたちが集まる劇団を訪ね、カウンセリングを受け、教会へと足を向け…… いくつもの場面でアストリッドはスクリーンの向こうから、観客をじっと見つめてきます。 ![]() © Friede Clausz 「あなたなら、どうしますか?」と。 >>ネタバレを含みます。この映画を見ようという方は、スキップしてください〜! 日本でも、2年前に導入された新型出生前検診について、命をめぐる決断が様々なメディアで取り上げられていたようですが、日本では中絶可能なのは22週未満までのところ、ドイツの場合は、身体的かつ精神的に問題が認められた場合には、出産直前までの中絶が可能だそうです。 >>>追加注記 ドイツでは現時点(2023年)でも、刑法218条により中絶は違法ですが、いくつかの規定の条件下の場合罰則はありません。 (そのため、2022年まで「中絶の宣伝」を違法とするナチス時代に決められた刑法219条aが有効でした。そのため中絶の詳細な説明をサイトにアップしていたお医者さんに対する訴えが相次ぎ問題に。新政府のもとでこの悪法は廃止となりました。これについてはこちらを参照) 12週目まで、もしくは22週目まで、でいくつか変更点はありますが、医者のカウンセリングを受けて行われ、また母体の身体的かつ精神的健康が害される場合、妊婦に対する罰則はありません。(医師に対する罰則の可能性はある)場合によっては中絶費用の負担もあります。 合法ではないけれど妊婦は罰は受けないというグレーゾーンです。詳しくはドイツ連邦家族省のサイトをご確認ください。 ちなみに旧東ドイツDDRでは1972年に、12週目までであれば女性が中絶を決める権利が与えられています。西ドイツでは1871年(!)ドイツ帝国ができた時からの法律がそのまま適用されていて、どんな形であれど中絶は懲役刑でした。そのため東西ドイツが再統一したことで女性の権利が奪われたとする向きもあり、改正を試みましたがバイエルン州などカトリックの強い州では根強い反対があるようです。 >>> 生きて生まれる子どもの命を奪うーという決断はタブーであり、いままでは語られれずにきたテーマでした。 Berrached監督は、この現実を痛いほどにまっすぐと直視します。医師や助産師は役者ではなく、本物に出演してもらい、実際このシチュエーションに遭遇した場合の対応をしてもらったそうです。 専門用語ばかりの医師のことば、助産師の、中絶の前後に関する詳細な説明に涙が出てきます。 ![]() © Friede Clausz 実はBerrached監督も、妊娠3か月で中絶をしたことがあるそうです。 いまだに、その子どものことをしょっちゅう思い出し、生まれていれば今頃は……と悩むことが多かったとか。そんな彼女を心配した友人がくれた、後期中絶についての新聞記事には、同様の診断を受けたドイツの女性の9割が、中絶すると書かれていました。 この映画を作るにあたって、監督は中絶の決断をした家族と、産む決断をした家族の両方から話を聞き、入念なリサーチを行いました。 中絶なのか、産むのか、2択のようですが、100人いれば100の理由があり、生まれていてもいなくても、その後の時間も人それぞれ、ひとくちには言えないでしょう。 映画の最後にそっと囁かれる一言は、Berrached監督の、失った子どもへのメッセージのような気がしました。 「24 Wochen」 上映スケジュール: 2月21日 22:30〜 Haus der Berliner Festspiele ドイツでの公開も予定されています。 #
by berlinbaubau
| 2016-02-19 03:05
| 映画、だいたいドイツ
いよいよ第66回ベルリン映画祭が、2月11日にその幕を開きました!
10日間で434作品が上映され、30万人以上の観客が訪れると予想されています。 ![]() Alexander Janetzko © Berlinale 2013 今年度のテーマは「Recht auf Glück(幸せの権利)」。 想像される通り、難民問題ももちろん大きなテーマなのですが ベルリナーレ・ディレクターのディーター・コスリック氏は、「シリアやアフガニスタンなどの国から戦争を逃れてやってくる難民でもドイツに暮らす小さな家族であっても、どの映画の中でも誰もが平和に暮らし、幸せでいたいと思っている」と、このテーマを説明しています。 ただ「国外へと移住する人、亡命者、故郷や今まで居た場所を離れる人たち誰もが、幸せを探している。そうする必要がないなら誰もすすんで故郷を離れない」というコスリック氏の言葉には、自分の故郷である東京を離れてベルリンに暮らす一人として、少しひっかかってしまいました。 ベルリンに来て15年、わたしは幸せなのか?幸せをつかんだのか?いや、そもそも幸せを探しに来たのか?。東京が嫌いとか日本が嫌いだという理由で「捨てて」ベルリンに来たわけではないし……今年の映画祭では、「Heimat(故郷)」や「自分の居場所」について何度も考えさせられています。 ![]() © pong 初日に見たのはフォーラム部門「Havarie(海難)」。 映画と言うよりサウンドインスタレーションとでも表現したほうがいいような、不思議な作風とテーマは話題を集めています。そして「And-Ek Ghes(ある日)」。上記「Havarie」と同じくPhilip Scheffner監督のドキュメンタリー作品。山形ドキュメンタリー映画祭で優秀賞を受賞した同監督の「Revision」の続編とも言える作品です。 この感想に関しては、Young Germany のブログにまとめさせて頂いていますので、 ご興味ある方、ぜひ! 記事へ→しあわせって何だろう? 第66回ベルリン映画祭、スタート! そして、桃井かおりさんの監督第2作品めとなる「火Hee」と チェコ最後の処刑囚を主人公にした 「Já, Olga Hepnarová」。 居場所がなく、追い詰められて孤独になり、最後は犯罪を犯してしまうという女性を主人公にしているという点においてとても似通っている2作品ですが、立て続けに見たということもあって二人の演技、表現、映画自体の作りなどが対照的でとても面白かったのです。 ![]() © Black Balance 注:以下、少々ネタバレです。 「Já, Olga Hepnarová」では 主人公のオルガの人生を追うように時系列で描きながら、一つ一つ彼女が手にしていた希望の蜘蛛の糸が切れていく様子、彼女が最後に人を殺そうと思い立つまでを描いています。 彼女が犯行に及ぶ前に書いた手紙の抜粋ー 「私は一匹狼で、壊れた人間です。人間によって壊された人間です。自分自身を殺すか、他のひとを殺すかという選択肢がありましたが、私を憎んでいる人間に復讐をすることに決めました。誰にも知られない自殺者としてこの世を去るのは簡単です。社会はとても無関心なんです。 私の判決を述べます。私、オルガ・ヘプナロヴァ、残忍なあなたたちの犠牲者は、死刑を言い渡します」 ー犯行の背景など、秋葉原通り魔事件を思い出しました。 全てが終わり、彼女の人生にも終わりが訪れた後の最後の短いシーンがなんとも言えない余韻を残します。そう、生きている人間の人生は続いていく……それはとても残酷な事実。監督は、どうしてもこのシーンを入れたかったと、上映後のQ&Aで答えていました。 「Já, Olga Hepnarová」 上映スケジュール 2月18日、14:00 International にて〜 2月21日、20:15 Cubix 8、Cubix 7 にて〜 チケットは売り切れていますが当日券もあります! ………… 孤独で寡黙になオルガは洋服にも住まいにも食べるものにも構わず、いつもそっけないパンツスタイルでレズビアンという設定。不謹慎なようですが、この映画の中ではものすごく危険な魅力があるんですよ……深く暗い目に引き込まれす。 それに対して「火Hee」の桃井かおりさんはいつも極彩色の派手な柄の、ふんわりとしたワンピース姿で、息をつく間もなく自分の話をし続ける。どこを見ているやら目の焦点があってなくて。とても対照的なようでいて、どちらも言いようのない孤独を感じさせました。 ![]() © "Hee" Film Partners 「火Hee」を見た後、 原作となった中村文則さんの小説を読んで、桃井さんがあえて映画ではストーリーをロサンゼルスという場所に変えた意味、セラピストの先生の家族のシーンがあった意味を考えたくなってきました。 映画の中では主人公は、滞在ビザが切れていて、英語ができないという設定。 原作の、日本にいる主人公の「言葉が通じても、気持ちが通じない」という孤独感に対してまた違う孤独感、孤立があるのではないかと思いました。セラピストの先生も日本人で日系人と結婚していうようですが、英語で妻子と話し、どうやら居場所がないようす。そういったシーンを入れることで、異文化の中での孤立感が強調されているような気がしました。 また、映画の中ではビデオやカメラの映像が何度も出てきます。 この映画の主人公としてではなく、「桃井かおり」という存在が女優として監督として見られること/見ること/内を見つめること を撮っているようで、原作とはまた違った魅力があるように思いました。 「火Hee」 上映スケジュール 2月15日、19:30 CinemaxX 4 にて〜 チケットは売り切れていますが当日券もあります! 2月18日、22:15 Cubix 9 にて〜 ベルリナーレ、やっと折り返し地点ですが、まだまだ見たい映画がいっぱい。 できる限り、ご紹介していきたいと思います!! 映画祭レポートは、instagram(@yg_berlinale ) twitterでは、kawachi_berlin (@berlinbau) などでライブでお知らせします☆☆☆ ご興味ある方、ぜひ! #
by berlinbaubau
| 2016-02-15 03:00
| 映画、だいたいドイツ
今年1月10日、デヴィッド・ボウイが亡くなりました。
このニュースはもちろん世界中をかけめぐりましたが、なかでもボウイが愛し、1976〜78年の間には暮らしたこともあるベルリンでは「ありがとう」の声が多く聞かれました。 ボウイらがベルリンの壁のすぐ裏で1987年に行ったコンサートで歌った「HEROES」、ベルリンの壁の下でキスをするカップルを描いたこの歌は、ベルリンの壁崩壊のきっかけともなったと言われています。 シェーネベルク時代には、ちょっと、だけドイツ語も話してたみたいです↓が、コンサートでは壁の向こうの友だちへ、ドイツ語で、こう挨拶があったとか。 "Wir schicken unsere besten Wünsche zu allen unseren Freunden, die auf der anderen Seite der Mauer sind." 現在の連邦議事堂前で行われたコンサート、西側では6万人を動員し、東ドイツの若者たち5000人が音だけでも聞こうとブランデンブルク門方面へと殺到したそうですが、そのコンサートの前にボウイは東側へ入り、ファンの若者たちを話したりもしていたよう。 「HEROES」を録音したハンザ・スタジオは、東西の壁のすぐ裏、目の前には監視塔がそびえたっていたので、それをみてこの曲を書いたとか…… ちなみに、この監視塔はいまも残されています。 ボウイの最後のアルバムのポスターが市内各地に貼られているんですが、どれにもすごい書き込みがあって!! 「ありがとう」「あなたはいつも最高だった」「Where Are We Now?」 …… ![]() ベルリンに深い縁をもつボウイ、今年のベルリン映画祭では追悼の意をこめて「地球に落ちて来た男」が上映されます。 ↓ドイツ語予告編! 2月12日、21:00〜 Friedrichstadt-Palast にて! また、やはり今年亡くなった俳優、アラン・リックマン(いまはハリー・ポッターのセブルス・スネイプ役が有名ですが、)追悼し、1996年にベルリン映画祭で金熊賞を受賞した、アン・リー監督の「いつか晴れた日に」も上映。 2月16日、22:30〜Kino International そして、エットーレ・スコラ監督追悼として、Le Bal が上映されます。 2月18日、16:00〜CinemaxX 6. 映画祭レポートは、instagram(@yg_berlinale ) twitterでは、kawachi_berlin (@berlinbau) などでライブでお知らせします☆☆☆ ご興味ある方、ぜひ! #
by berlinbaubau
| 2016-02-08 06:32
| 映画、だいたいドイツ
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