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11月9日。
この日は、ドイツの歴史の中で何度も繰り返される、非常に重要な日付けです。 1989年、11月9日。 ベルリンの壁が、28年の歴史に終止符を打ちました。 同年1月、東ドイツ国家評議会議長エーリッヒ・ホーネッカーは 「(ベルリンの)壁は、この先50年、100年と立ち続けるであろう」と発言していますが その予言あたらず。 11月9日、夜、 東ドイツのテレビやラジオで報道された 社会主義統一党政治局員ギュンター・シャボウスキーの 「いまから、すぐ、東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」という発言により、東ドイツ国民が国境につめかけ、壁が開いたのです。 そして、 1938年11月9日。 11月の虐殺(Novemberpogrome)、いわゆる「水晶の夜事件(クリスタルナハト)」と呼ばれる ドイツ各地でありとあらゆるユダヤ人の商店、住宅、シナゴーグなどが襲われ、打ち壊され、放火されたという大量虐殺事件です。 飛び散った窓ガラスのかけらが、月の光で水晶のように輝いた……ということから 「水晶の夜」と言われていましたが、 キラキラと美しいイメージからポジティブな印象を受ける?ということで、最近はあまりこの言い回しは使われないようです。 そして、1918年の11月革命。 …… そしてもうひとつ。 私にとって、この日は、ベルリンで一番信頼が置ける、素晴らしいドライバーさんでもある知人の誕生日でもありました。 西ベルリン出身の彼は、 「1989年の11月9日、誕生日パーティを準備していたのに、時間が来ても、お客が来ないんだよ。何で?と思って電話をかけたら、ベルリンの壁が壊れたんだ!!って言われてね」 ……という話を教えてくれたので、 「壁崩壊の日が誕生日」ということが、とても印象深く記憶に残っていたのです。 この知人が、10月末、亡くなりました。 つい最近久しぶりに会って、元気にしてるー?忙しいよーなんて話したばかりだったのに…… そして今年の11月9日、 私はライプツィヒにいました。 市内中心部にあるニコライ教会は80年代から、平和への祈りを捧げる月曜日のデモが行われ、 平和への、そして再統一のための抵抗運動の中心地としても知られていた場所です。 しかし今年は特に記念イベントもなく、通常通りミサがあるだけという落ち着いた雰囲気。 ろうそくを灯し、うっかりお賽銭(とは言わないか)をゴミ箱に入れるというまぬけな失態をやらかし、周囲のドイツ人に大笑いされたあと、 夜は聖トーマス教会少年合唱団の歌声を聴くために、トーマス教会へ。 練習の時はクスクスつつきあったり、むすっと声を出さない子がいたり、しきりにヘアスタイルをいじってる子がいたりと、いかにも思春期の男の子らしい雰囲気だったのに、 ひとたび揃って声を出すと、 透き通ったのびやかなボーイソプラノが教会中に響きわたり、まさに天使の歌声。 宗教心は全くない私ですが、「心が洗われる」という言葉が心に浮かびました。 バッハが作曲したモテットの合間に挟まれる 女性の牧師さん(プロテスタントは女性も牧師になれるんだとは知りませんでした!)による壁の崩壊と11月の虐殺にふれた説教に耳を傾けながら、亡くなった彼の笑顔を思い出しました。 西ベルリンで育ち、ドイツ現代史にも詳しかったOさん、 その知識に、頼もしさに、ものごしに何度も助けられました。 心から、ご冥福をお祈りします。天国で、のんびりとボートを漕いだりできますように。 ……… 今年はなぜか本当に忙しく、なかなかブログを更新する時間がなくて、書きたいことがあるのにあっという間に時間が過ぎてしまい、あ〜あの展覧会もう終わっちゃった……なんてこともしばしば。 読んで下さっている皆様、ありがとうございます! これからもほそぼそと、更新して行きますので、どうぞよろしく!
by berlinbaubau
| 2012-11-17 19:28
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